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浦添市文化財調査報告書 | 浦添市

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Academic year: 2018

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全文

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2017(平成 29)年2月

沖縄県 浦添市教育委員会

う ら そ え し

浦添市文化財調査報告書

ま え だ     きょう づ か き ん せ い ぼ ぐ ん

前田・経塚近世墓群 8

前田西前田原B丘陵

前田西前田原C丘陵(1)

(3)
(4)

巻頭 1 前田西前田原B丘陵全景 北から

(5)
(6)

序 文

 本報告書は、浦添南第一土地区画整理事業に先立ち、平成 25 年度および平成 27 年度に浦添市教 育委員会が実施した、埋蔵文化財「前田・経塚近世墓群」の前田西前田原B丘陵と前田西前田原C丘 陵の発掘調査の成果をまとめたものです。

 前田・経塚近世墓群は、浦添市字前田と経塚に分布する丘陵に横穴を掘り込んで造られた伝統的な 掘込墓を主とする墓群です。これまでの発掘調査では 1,000 基を超える墓が発見されており、これら の多くは沖縄の近世の頃に造営された墓であることがわかっています。

 これらの近世墓は、人骨や蔵骨器、それに記された銘書(ミガチ)、副葬品類を伴うことが多く、 数世代にわたる情報がタイムカプセルのように残されています。このような情報は、当時の家族の歴 史、浦添の歴史、ひいては沖縄全体の歴史を明らかにできる資料であり、文献資料が少ない沖縄にお いて、貴重な歴史資料ともいえます。

 今回の調査成果の中では「浦添間切」「前田村」の銘書が記された蔵骨器が確認されており、この 丘陵一帯が近世期から前田集落の墓域として使われたことが明らかになりました。また、沖縄戦の一 端がわかる遺構も確認されており、激戦地となった浦添前田地域の様子を垣間見ることができます。  本報告書が沖縄・浦添の近世から近代を通した葬制・墓制を知る上で、市民をはじめ多くの方々に 活用されますとともに、文化財の保護と活用に一層の関心を持って頂けるものになれば幸いに存じま す。

 末尾になりますが、現地調査および資料整理にあたってご指導・ご協力を賜りました方々、並びに 事業実施にあたりご協力を賜りました方々に深く感謝申し上げます。

平成 29 年 2 月     

(7)

例 言

1. 本報告書は、浦添南第一土地区画整理事業に先立ち、沖縄県浦添市前田に所在する埋蔵文化財「前 田・経塚近世墓群」前田西前田原B丘陵および前田西前田原C丘陵の発掘調査の成果をまとめた ものである。

2. 「前田・経塚近世墓群」は、沖縄県浦添市の字前田から経塚の丘陵一帯に所在する墓群である。なお、 発掘調査地点の所在地は、前田西前田原B丘陵:沖縄県浦添市前田西前田原 720 他 28 筆及び里 道、前田西前田原C丘陵:沖縄県浦添市前田西前田原 634 他 17 筆である。

3. 発掘調査は、浦添南第一土地区画整理事業に伴う発掘調査であり、浦添市都市建設部区画整理課 の委託を受けて、浦添市教育委員会文化課が実施した。

4. 資料の整理にあたり、下記の方の指導・助言をいただいた。記して感謝申し上げる。 鈴木 悠 (那覇市歴史博物館)

5. 発掘調査に係る現場作業は、平成 25 年度および平成 27 年度、平成 28 年度に実施した。調査 期間は、前田西前田原B丘陵:平成 25(2013)年 10 月 28 日~平成 26(2014)年 2 月 20 日、 平成 28 年(2016)年 11 月 11 日~ 11 月 14 日、前田西前田原C丘陵:平成 27(2015)年 8 月 13 日~ 12 月 28 日である。調査の実施にあたっては、有限会社 ティガネー、三興コンサ ルタント 株式会社、株式会社 シン技術コンサル 沖縄営業所の支援を受けた。

6. 報告書作成は、平成 26 年度~平成 28 年度の三ヶ年にわたって実施し、浦添市教育委員会文化 課職員及び嘱託職員がこれにあたった。

7. 副葬品、戦争遺物、人骨の写真撮影については、菅原 広史が行った。なお、蔵骨器の実測及び 写真撮影等については、株式会社 イビソク 沖縄支店、株式会社 パスコ 沖縄支店に委託した。

8. 本書の執筆を以下のように分担した。編集は、安斎 英介・瑞慶覧 長順が行った。 安斎 英介  第1章第1節・第3節(1)、第3章、第7章  

瑞慶覧 長順 第1章第2節・第3節(2)、第2章、第4章 菅原 広史  第3章第4節(10)の 4、第5章、第6章    

9. 本文中で使用した引用・参考文献は、各章末に記した。

(8)

凡 例

1.本書に表示した基準高はすべて海抜高を用い、メートル単位で表した。 2.地形測量図に記した座標は、世界測地系を用いた。

3.平面図に記した方位は、基本的には座標北を示す。磁北を用いる場合は、その旨を明記した。 4.遺構断面図を作成した位置は、遺構平面図に横断ラインを示し、方向は英字で表した。

5.地形測量図については 1/200 を基本として作成し、1/400 から 1/600 の縮尺で掲載している。 6.遺構図については、1/20 を基本として作成し、1/40 から 1/80 の縮尺で掲載している。 7.一次葬人骨の出土状況図については、1/5 を基本として作成し、1/10 の縮尺で掲載している。 8.遺物の実測図は、出土品のうち蔵骨器は 1/6、それ以外は、1/3 や 1/2、1/1 で掲載した。それ

らについては、掲載頁に明示している。

9.掘込墓の各部名称と計測位置については以下のとおりである。

・ 墓口から墓室に至る通路の名称については、伝統的・一般的な呼称が確認されていないことから 「羨道」と仮称した。

・ 墓口の方位は、磁北を表す。主軸方位は墓室奥壁を背にして墓口方向をみている。

墓庭

右棚 左棚

● ●

● ●

墓口

羨道

サンミデ―

シルヒラシ

左袖 右袖

1番棚 2番棚 3番棚

墓道

奥行

高さ

口の方位

(9)

10.蔵骨器の分類及び名称と、各部名称・計測位置については、浦添市教育委員会刊行の浦添市文化 財調査研究報告書第 25 集『伊祖の入め御拝領墓の厨子甕と被葬者』(1997 年)および浦添市文 化財調査研究報告書『比嘉門中墓の家族史-家族の数だけ歴史がある- 比嘉門中墓の調査概要』 (2006 年)を参考にしている。

・ 蔵骨器の各部名称と計測位置(上段:ボージャー形、下段:マンガン釉甕形)

口径

部高

器高

器高

口径 内径

底径 胴部径

つまみ つまみ台

頸部横帯

胴部文様 胴部横帯

マド マド枠

部高

器高

口径 内径

口径 内径

器高

底径 胴部径

屋門 胴部文様帯

肩部文様帯

胴下部文様帯

玉飾 屋根 窓 柱貫 柱 銘書面 つまみ つまみ台

鍔 かえり 横帯1

横帯2

横帯3

(10)

11.窓・屋門の部位名称と計測位置

12.下記の遺物の各部名称と計測位置は以下のとおりである。

寄棟形 平葺形 平葺形 唐破風形 唐破風形 1方2方 1方4円 1方2方 1方 1方2方

瓦屋形 唐破風形 位牌形 アーチ形

屋門の分類(マンガン釉甕形) マド枠の分類(ボージャー)

屋門計測部位 マド枠計測部位

縦軸

横軸

横軸

縦軸

ヨコ

タテ

断面寸法 頭部

基部

先端

陶器(器)

口径

器高 

底径

鉄釘

煙管

雁首 長さ         

火皿径

立ちあがり

ラウ接続部径 長さ

吸口径 吸口

頭部 首部 竿部

長さ

頭部 首部

ムディ部

竿部

A B C D

A’ B’ C’ D’

E’

A:輪外径縦 A’:輪外径横 B:輪内径縦 B’:輪内径横 C:郭外幅縦 C’:郭外幅横 D:郭内幅縦 D’:郭内幅横 E:輪厚1  E’:輪厚2

(11)

目 次

巻頭図版

序文・例言・凡例・目次

第 1 章 はじめに

 第 1 節 調査に至る経緯 ……… 1  第 2 節 調査体制 ……… 1  第 3 節 調査の経過 ……… 2

第 2 章 遺跡の位置と環境

 第 1 節 浦添市の地理的環境 ……… 6  第 2 節 遺跡の地理的環境 ……… 6  第 3 節 遺跡周辺の歴史的環境 ……… 8

第 3 章 前田西前田原B丘陵の調査成果

 第 1 節 調査の方法 ………11

 第 2 節 層序と遺構 ………11

 第 3 節 遺物 ………12

 第 4 節 各墓の調査成果 ………23

 第 5 節 小結 ………73

第 4 章 前田西前田原C丘陵の調査成果

 第 1 節 調査の方法 ………76

 第 2 節 層序と遺構 ………76

 第 3 節 遺物 ………80

 第 4 節 各墓の調査成果 ………82

 第 5 節 小結 ………93

第 5 章 人骨の分析

 第 1 節 資料について ………96

 第 2 節 前田西前田原B丘陵の人骨出土状況および分析結果 ………96

 第 3 節 前田西前田原C丘陵の人骨出土状況および分析結果 ……… 101

 第 4 節 まとめ ……… 103

第 6 章 脊椎動物遺体

 第 1 節 資料について ……… 109

 第 2 節 前田西前田原B丘陵 56 号墓から出土した脊椎動物遺体 ……… 110

 第 3 節 まとめ ……… 110

第 7 章 総括

……… 114

(12)

巻頭写真

巻頭 1 前田西前田原B丘陵全景 北から

巻頭 2 前田西前田原B丘陵南側斜面の遺構検出状況      南西から

巻頭 3 前田西前田原C丘陵全景 北西から 巻頭 4 前田西前田原C丘陵東側斜面の遺構検出状況      北東から

図目次

第 1 図 遺跡の位置 ……… 7

第2図 前田・経塚の小字図……… 7

第3図 前田・経塚近世墓群調査地区の位置……… 10

第4図 前田西前田原 B 丘陵の地形と遺構分布図 …… 14

第 5 図 4 号墓・5 号墓平面図 ……… 24

第 6 図 4 号墓・5 号墓断面図 ……… 25

第 7 図 4 号墓・5 号墓出土遺物 ……… 26

第 8 図 6 号墓平面図 ……… 27

第 9 図 6 号墓遺物出土状況図・断面図 ……… 28

第 10 図 6 号墓出土遺物 1 ……… 30

第 11 図 6 号墓出土遺物 2 ……… 31

第 12 図 31 号墓平面図・遺物出土状況図・断面図 … 33 第 13 図 31 号墓出土遺物 ……… 34

第 14 図 37 号墓平面図 ……… 36

第 15 図 37 号墓正面図・断面図 ……… 37

第 16 図 37 号墓遺物出土状況図 ……… 38

第 17 図 37 号墓出土遺物 ……… 39

第 18 図 38 号墓平面図・断面図 ……… 41

第 19 図 38 号墓出土遺物 ……… 42

第 20 図 41 号墓平面図 ……… 44

第 21 図 41 号墓正面図・断面図 ……… 45

第 22 図 41 号墓一次葬人骨出土状況図 ……… 46

第 23 図 41 号墓出土遺物 1 ……… 48

第 24 図 41 号墓出土遺物 2 ……… 49

第 25 図 42 号墓・52 号墓平面図 ……… 51

第 26 図 42 号墓正面図・断面図 ……… 52

第 27 図 42 号墓出土遺物 1 ……… 54

第 28 図 42 号墓出土遺物 2 ……… 55

第 29 図 51 号墓平面図・断面図 ……… 57

第 30 図 51 号墓出土遺物 ……… 58

第 31 図 55 号墓平面図・遺物出土状況図・断面図 … 60 第 32 図 55 号墓出土遺物 ……… 61

第 33 図 56 号墓平面図・見通し図・断面図 ………… 63

第 34 図 56 号墓遺物・人骨出土状況図・      一次葬人骨平面図・断面図……… 64

第 35 図 56 号墓出土遺物 1 ……… 65

第 36 図 56 号墓出土遺物 2 ……… 66

第 37 図 56 号墓出土遺物 3 ……… 67

第 38 図 56 号墓蔵骨器 1 内人骨の納骨状況 ………… 68

第 39 図 2 号墓・19 号墓出土遺物 ……… 70

第 40 図 20 号墓・22 号墓・24 号墓・25 号墓・      27 号墓・35 号墓出土遺物 ……… 72

第 41 図 前田西前田原 C 丘陵の地形と遺構分布図 …… 77

第 42 図 13 号墓遺構図1 ……… 83

第 43 図 13 号墓遺構図2 ……… 84

第 44 図 13 号墓出土遺物1 ……… 86

第 45 図 13 号墓出土遺物2 ……… 88

第 46 図 26 号墓出土遺物 ……… 89

第 47 図 26 号墓遺構図 ……… 90

第 48 図 8 号墓、9-10 号墓間、12 号墓脇墓 2、      18 号墓、29 号墓出土遺物 ……… 92

第 49 図 12 号墓脇墓 2 蔵骨器内岩石計測値 ………… 94

表目次

第1表 墓室の平面形の類型……… 15

第2表 前田西前田原 B 丘陵の遺構一覧表 …… 16 ~ 19 第 3 表 前田西前田原 B 丘陵の遺物一覧表 …… 20 ~ 21 第 4 表 6 号墓出土蔵骨器観察一覧表 ……… 29

第 5 表 6 号墓出土蔵骨器の銘書一覧表 ……… 32

第 6 表 31 号墓出土蔵骨器観察一覧表 ……… 34

第 7 表 37 号墓出土蔵骨器観察一覧表 ……… 35

第 8 表 38 号墓出土蔵骨器観察一覧表 ……… 40

第 9 表 38 号墓出土蔵骨器の銘書一覧表 ……… 43

第 10 表 38 号墓出土銭貨一覧表 ……… 43

第 11 表 41 号墓出土蔵骨器観察一覧表 ……… 47

第 12 表 41 号墓出土蔵骨器の銘書一覧表 ……… 47

第 13 表 42 号墓出土蔵骨器観察一覧表 ……… 53

第 14 表 42 号墓出土蔵骨器の銘書一覧表 ……… 53

第 15 表 51 号墓出土蔵骨器観察一覧表 ……… 56

第 16 表 51 号墓出土蔵骨器の銘書一覧表 ……… 59

第 17 表 55 号墓出土蔵骨器観察一覧表 ……… 59

第 18 表 55 号墓出土蔵骨器の銘書一覧表 ……… 61

第 19 表 56 号墓出土蔵骨器観察一覧表 ……… 66

第 20 表 19 号墓出土陶磁器一覧表 ……… 69

第 21 表 20 号墓・22 号墓・24 号墓・35 号墓      出土銭貨一覧表 ……… 71

第 22 表 前田西前田原 C 丘陵の遺構一覧表 …… 78 ~ 79 第 23 表 前田西前田原 C 丘陵の遺物一覧表 ……… 81

第 24 表 13 号墓出土蔵骨器観察一覧表 ……… 87

第 25 表 13 号墓出土蔵骨器の銘書一覧表 ……… 87

第 26 表 前田西前田原 B 丘陵・C 丘陵       出土人骨一覧表 ……… 105 ~ 106 第 27 表 最少個体数 集計表 ………106

第 28 表 上顎骨及び下顎骨の歯列残存状況 ………107

第 29 表 齲歯観察表 ………107

第 30 表 骨に見られる変異等の観察表 ………108

第 31 表 下顎犬歯に観察されるエナメル質減形成一覧表 108 第 32 表 西前田原 B 丘陵出土の脊椎動物遺体一覧      ……… 111 ~ 112 第 33 表 脊椎動物遺体集計表 ………113

図版目次

図版 1 前田西前田原B丘陵の南側斜面     (下段右端が 1 号墓) ………119

    1 号墓正面 ………119

    1 号墓墓室完掘状況 ………119

    2 号墓墓室人骨出土状況 ………119

    3 号墓墓室完掘状況 ………119

図版 2 5 号墓(左)・4 号墓(右)正面 ………120

    4 号墓・5 号墓連結部 ………120

    4 号墓・5 号墓連結部遺物出土状況 ………120

    4 号墓墓室完掘状況 ………120

    5 号墓墓室完掘状況 ………120

図版 3 6 号墓正面 ………121

    6 号墓墓室内遺物出土状況 ………121

    6 号墓墓室内遺物出土状況(近景) ………121

    7 号墓墓室完掘状況 ………121

    8 号墓墓室完掘状況 ………121

図版 4 9 号墓墓室完掘状況 ………122

(13)

    11 号墓墓室完掘状況 ………122

    12 号墓墓室完掘状況 ………122

    13 号墓(左奥)、14 号墓(右奥) ………122

    13 号墓墓室内完掘状況 ………122

    14 号墓正面 ………122

    14 号墓墓室右壁掘り抜き状況 ………122

図版 5 15 号墓完掘状況 ………123

    16 号墓墓室完掘状況 ………123

    17 号墓正面 ………123

    17 号墓墓室奥壁 ………123

    18 号墓墓室完掘状況 ………123

    19 号墓完掘状況 ………123

    20 号墓完掘状況 ………123

    21 号墓(中央)、22 号墓(左)、20 号墓(右) 123 図版 6 22 号墓完掘状況 ………124

    23 号墓完掘状況 ………124

    24 号墓完掘状況 ………124

    25 号墓完掘状況 ………124

    26 号墓墓室完掘状況 ………124

    27 号墓墓室完掘状況 ………124

    28 号墓完掘状況 ………124

    29 号墓完掘状況 ………124

図版 7 30 号墓完掘状況 ………125

    31 号墓遺物検出状況 ………125

    31 号墓遺物検出状況(近景) ………125

    32 号墓完掘状況 ………125

    33 号墓完掘状況 ………125

図版 8 34 号墓完掘状況 ………126

    35 号墓完掘状況 ………126

    36 号墓(左)、53 号墓(右) ………126

    36 号墓墓室完掘状況 ………126

    37 号墓正面 ………126

    37 号墓墓室内遺物検出状況 ………126

    37 号墓遺物検出状況(近景) ………126

    37 号墓墓庭入口周辺 ………126

図版 9 38 号墓完掘状況 ………127

    38 号墓墓室遺物検出状況 ………127

    39 号墓正面 ………127

    39 号墓墓室完掘状況 ………127

    40 号墓床面人骨出土状況 ………127

    41 号墓正面 ………127

    41 号墓墓室遺物検出状況 ………127

    41 号墓墓室人骨出土状況 ………127

図版 10 41 号墓墓室内人骨出土状況(上層) …………128

     41 号墓墓室内人骨出土状況(下層) …………128

図版 11 42 号墓墓庭 ………129

     42 号墓墓室内奥壁完掘状況 ………129

     42 号墓墓庭土坑遺物検出状況 ………129

     42 号墓脇墓(52 号墓) ………129

     43 号墓完掘状況 ………129

     44 号墓(左)、45 号墓(中央)、46 号墓(右) 129      44 号遺構完掘状況 ………129

     45 号遺構完掘状況 ………129

図版 12 44 号遺構・45 号遺構連結部 ………130

     44 号遺構・45 号遺構連結部壁面の灯り置き 130      46 号墓墓室完掘状況 ………130

     47 号墓墓室完掘状況 ………130

     48 号墓墓室完掘状況 ………130

     49 号墓(中央)、左は 41 号墓 ………130

     49 号墓完掘状況 ………130

     50 号墓完掘状況 ………130

図版 13 51 号墓正面 ………131

     51 号墓墓室遺物検出状況 ………131

     53 号墓墓室完掘状況 ………131

     54 号墓完掘状況 ………131

     55 号墓墓室遺物検出状況 ………131

図版 14 56 号墓人骨・遺物検出状況 ………132

     56 号墓人骨検出状況 ………132

図版 15 57 号墓・58 号墓周辺 ………133

     57 号墓完掘状況 ………133

     58 号墓完掘状況 ………133

     59 号墓(左)、60 号墓(右)完掘状況 ………133

     59 号墓・60 号墓(下段)周辺 ………133

     61 号墓墓室 ………133

     62 号墓墓室 ………133

     63 号墓遺物集積状況 ………133

図版 16 4・5 号墓連結部遺物、6 号墓遺物 ………134

図版 17 31 号墓遺物、37 号墓遺物、38 号墓遺物1 …135 図版 18 38 号墓遺物2、41 号墓遺物 ………136

図版 19 42 号墓遺物、52 号墓遺物 ………137

図版 20 51 号墓遺物、55 号墓遺物 ………138

図版 21 56 号墓遺物 ………139

図版 22 2 号墓遺物、19 号墓遺物 ………140

図版 23 20 号墓遺物、22 号墓遺物、24 号墓遺物、      25 号墓遺物、27 号墓遺物、35 号墓遺物 ……141

図版 24 西前田原 C 丘陵西側斜面 ………142

     3 号墓完掘状況 ………142

     5 号墓完掘状況 ………142

     7 号墓完掘状況 ………142

     7 号墓左袖部通路検出状況 ………142

図版 25 8 号墓完掘状況 ………143

     8 号墓墓室内完掘状況 ………143

     9 号墓完掘状況 ………143

     9 号墓墓室内完掘状況 ………143

     10 号墓完掘状況 ………143

     11 号墓完掘状況 ………143

     12 号墓完掘状況 ………143

     12 号墓脇墓 1 完掘状況 ………143

図版 26 12 号墓脇墓 2 転用蔵骨器検出状況 …………144

     13 号墓完掘状況 ………144

     13 号墓蔵骨器検出状況 ………144

     13 号墓墓室内半裁状況 ………144

     13 号一次葬人骨 -1 検出状況 ………144

図版 27 13 号一次葬人骨 -2 検出状況 ………145

     14 号墓完掘状況 ………145

     15 号墓完掘状況 ………145

     16 号墓完掘状況 ………145

     17 号墓完掘状況 ………145

図版 28 18 号墓完掘状況 ………146

     19 号墓完掘状況 ………146

     20 号墓完掘状況 ………146

     21 号墓完掘状況 ………146

     22 号墓完掘状況 ………146

     23 号墓完掘状況 ………146

     24 号墓完掘状況 ………146

     25 号墓完掘状況 ………146

図版 29 26 号墓一次葬人骨検出状況 ………147

     26 号墓完掘状況 ………147

     27 号墓完掘状況 ………147

     29 号墓完掘状況 ………147

     30 号墓完掘状況 ………147

図版 30 13 号墓出土遺物 1 ………148

図版 31 13 号墓出土遺物 2、8 号墓、9-10 号墓間、      12 号墓脇墓 2 出土遺物 ………149

(14)

第 1 章 はじめに

第1節 調査に至る経緯

 浦添南第一土地区画整理事業は、浦添市を事業主体とする字前田、経塚にまたがる総面積 82.4 ヘ クタールの土地区画整理事業である。本事業は平成3年度に都市計画決定し、平成4年度より同事業 が着手されている。

 当該事業の実施に伴い浦添市教育委員会は現地踏査を実施し、更に平成6~9年度にかけて同事業 地内の分布調査を実施した。その結果、地内の丘陵各所において方言名で「フィンチャー」と称する 横穴式の古墓を多数確認した。その総数は事業地内に約 1,000 基の墓が所在するものと推定された (浦添市教育委員会 1998)。その後、事業の進捗に従って随時範囲確認調査を実施し、実数の把握に 努めるとともに(浦添市教育委員会 2007a、2010、2013a)、開発スケジュールとの整合性をとりな がら順次緊急発掘調査を実施し、その調査成果をまとめている(浦添市教育委員会 2007b、2011、 2012、2013b、2014、2015)。

 同区画整理事業地の前田地区に位置する前田西前田原 B 丘陵及び C 丘陵の遺構群については、道路・ 宅地造成工事が予定されていたため、記録保存のための緊急発掘調査を実施することになった。前田 西前田原 B 丘陵については平成 25 年度(平成 25 年 6 月 25 日付)、C 丘陵については平成 27 年度(平 成 27 年 6 月 17 日付)に、市区画整理課と市教育委員会の間で、他の地区の埋蔵文化財の緊急発掘 調査を含む業務委託契約が締結された。平成 26 年度から平成 28 年度については、新規現場ととも に資料整理を含む形で市区画整理課と市教育委員会の間に業務委託契約を締結して行い、平成 28 年 度に本報告書刊行のための業務委託契約を締結した。

第2節 調査体制

 調査の体制は下記のとおりである。

(15)

      同       同  上原 仁美(平成 26 年度)       同       同  外間 結衣(平成 28 年度) 調 査 員       同   文化財係主事 安斎 英介(平成 25 年度)       同 グスク整備係主事 安斎 英介(平成 26 年度)       同 グスク整備係主任 安斎 英介(平成 27 ~ 28 年度)       同   文化財係主事 菅原 広史(平成 25 ~ 26 年度)       同   文化財係主任 菅原 広史(平成 27 ~ 28 年度)       同   文化財係主事 瑞慶覧 長順(平成 27 ~ 28 年度)       同     嘱託職員 宮城 明恵(平成 25 ~ 26 年度)       同       同  鈴木  悠(平成 25 ~ 26 年度)       同       同  上原 千明(平成 25 ~ 26 年度)       同       同  栗野 慎一郎(平成 26 ~ 27 年度)

資料整理・嘱託職員

平成 25 年度 糸数 永子、金城 真由美、島袋 吏乃、白木 由子、新城 京美

平成 26 年度 池宮城 聡子、糸数 永子、浦崎 祐子、新城 京美、照屋 芳美、比嘉 美智子 平成 27 年度 糸数 永子、小橋川 里江、瑞慶覧 尚美、玉寄 智恵子、照屋 葉史、宮城 みさ子 平成 28 年度 石嶺 敏子、嘉数 さおり、新城 京美、玉寄 智恵子

調査協力 勝野 久美子、志良堂 恵、照屋 葉史

委託業務

平成 25 年度 発掘支援業務委託(前田西前田原B丘陵) 有限会社 ティガネー

平成 27 年度 発掘支援業務委託(前田西前田原C丘陵) 三興コンサルタント 株式会社        遺物実測等業務委託(前田西前田原B丘陵) 株式会社 イビソク 沖縄支店

平成 28 年度 発掘支援業務委託(前田西前田原 B 丘陵) 株式会社 シン技術コンサル 沖縄営業所        遺物実測等業務委託(前田西前田原C丘陵) 株式会社 パスコ 沖縄支店

第3節 調査の経過

(1)前田西前田原B丘陵

○平成 25 年 10 月 28 日~ 11 月 13 日

 10 月 28 日にラジコンヘリで、調査区の着手前の状況の全景撮影を行った。その後、現場に防蛇網 設置のための伐採作業を行った。また調査区の東側に接続する進入路の設置作業を行うなど、現場実 施前の環境整備を行った。

○平成 25 年 11 月 14 日~ 12 月 13 日

(16)

業を再開した。作業としては、進入路の設置作業や、重機を使用した伐採作業、現場にみられた廃棄 物の撤去作業等を実施した。

○平成 25 年 12 月 14 日~ 17 日

 伐採作業と同時に、調査前の土量計測と磁気探査を実施した。また、墓の検出状況の写真撮影を行っ た。16 日からは重機で機械掘削を開始した。その過程で検出された墓について、検出順に通し番号 を付与し、順次遺構の検出状況写真の撮影を行った。

○平成 25 年 12 月 18 日~ 12 月 27 日

 機械掘削作業と並行して、10 ~ 25 号墓の人力掘削作業を実施した。遺構が検出された墓から、順 次完掘状況の写真を撮影した。16 号墓については、崩落の危険があるため墓室内の調査を中止した。 12 月 25 日には、1 号~ 5 号墓の機械掘削作業を実施した。

○平成 26 年 1 月 6 日~ 9 日

 1 月 6 日には、3 ~ 4 号墓の間に墓が 3 基(26 ~ 28 号墓とした)検出され、検出状況の写真を撮 影した。7 日以降は、1 ~ 5 号墓、26 ~ 30 号墓の人力掘削作業を行った。精査の結果、4 号墓と 5 号墓は連結されていることが判明した。9 日には新たに 31 号墓、32 号墓が発見された。また、区画 整理課との協議に伴い、調査区の拡張を実施することになったため、丘陵西側の伐採作業を開始した。

○平成 26 年 1 月 10 日~ 1 月 18 日

 引き続き 1 号墓、2 号墓、4 ~ 9 号墓、27 号墓、31、32 号墓の人力掘削作業を実施し、検出が終 了した墓より順次写真撮影及び実測作業を行った。新たに 33 ~ 35 号墓、43 ~ 46 号墓が検出され、 掘削作業を行った。また、追加分の土量検測と磁気探査、機械掘削作業を実施した。同地内よりその 後 7 基の墓(36 ~ 42 号墓)が確認された。

○平成 26 年 1 月 20 日~ 1 月 28 日

 6 号墓、9 号墓、10 号墓、36 ~ 42 号墓、46 ~ 49 号墓、51 号墓、53 ~ 55 号墓の人力掘削を実施し、 終了したところから、写真撮影および実測作業を行った。新たに 48 ~ 53 号墓が検出され、掘削作 業および写真撮影などを実施した。37 号墓は墓室内から蔵骨器が検出されたため、写真測量を実施 した。38 号墓、40 号墓、41 号墓、51 号墓、55 号墓は遺物の検出作業を実施した。

○平成 26 年 1 月 29 日~ 2 月 6 日

(17)

○平成 26 年 2 月 7 日~ 2 月 20 日

 56 号墓の撮影などの補足調査と遺物の洗浄作業を実施した。2 月 15 日には、市民向けの現場見学 会を実施した。19 日に種子吹付を実施し、20 日で現場を終了した。

○平成 26 年度~平成 28 年度

 平成 26 年度には、遺物の注記・接合・実測作業を実施した。平成 27 年度には、蔵骨器の実測を 委託業務にて実施し、銘書の解読作業を実施した。平成 28 年度には、人骨の分析作業および副葬品 などの遺物の図面作成を実施した上で、図版等の作成を行い、調査報告書を作成した。

(2)前田西前田原C丘陵

○平成 27 年 8 月 13 日~ 9 月 10 日

 ラジコンヘリを用いて着手前の全景撮影を行った。発掘調査機材の搬入、赤土流出防止申請、現場 事務所設置、防蛇網設置、伐採作業、重機等による除根作業を行った。1 ~ 15 号墓を確認したが、5 号墓については調査区外のため欠番とした。

○平成 27 年 9 月 11 日~ 9 月 30 日

 伐木等の場外搬出作業や磁気探査、地質調査、測量基準点の設置、調査区南側丘陵の沈砂池設営、 機械掘削、重機および人力による遺構検出作業を行った。16 ~ 22 号墓を新たに検出した。1 ~ 22 号墓の検出状況の写真撮影を行った。21 号墓は、完掘状況の写真撮影を行った。

○平成 27 年 10 月 1 日~ 10 月 7 日

 引き続き磁気探査、重機および人力による遺構検出作業、人力による遺構精査を行った。23 ~ 30 号墓を新たに検出し、検出状況の写真撮影を行った。また 13 号墓および 26 号墓より一次葬人骨を 発見した。10・11・15・16・17・19・20・22・25・27 号墓は完掘状況の写真撮影を行った。6 号 墓については戦時中の防空壕と判断した。

○平成 27 年 10 月 8 日~ 10 月 15 日

 13 号墓内埋土の半裁をおこない、検出された蔵骨器と一次葬人骨、副葬品、墓口敷石、土層断面 の状況を撮影した。また、26 号墓にて検出された一次葬人骨の写真撮影、および写真実測を行った。 なお、調査区南側丘陵下段にて検出された 1 ~ 4 号墓については重機および人力による掘削を行った ところ新たに遺構が 1 基検出されたため、欠番となっていた 5 号墓を充てた。5・12・24・30 号墓 は完掘状況の写真撮影を行った。1・2・4 号墓については戦時中の防空壕と判断した。

○平成 27 年 10 月 16 日~ 10 月 22 日

(18)

○平成 27 年 10 月 26 日~ 10 月 30 日

 13 号墓内の一次葬人骨取り上げ後の掘削作業中、再び人骨や釘がばらけた状態で検出、写真撮影、 実測後、人骨を取り上げた。その後、完掘状況の写真撮影、実測を行った。26 号墓についても完掘、 写真撮影、実測を行った。なお、3・7・29 号墓の完掘状況の写真撮影を行った。並行して掘削が終 了した墓の略測、地形測量作業を行った。28 号墓については戦時中の防空壕と判断した。

○平成 27 年 11 月 2 日~ 12 月 11 日

 5・8・9・18・23 号墓の完掘状況の写真撮影を行った。調査区北側小丘陵の調査に移行するため、 沈砂池を新たに設営した。その後機械掘削を行ったが、遺構および遺物は確認されなかった。その後 地形測量を実施した。11 月 10 日から 12 日には出土遺物の洗浄・整理作業を実施した。

○平成 27 年 12 月 14 日~ 12 月 28 日

 調査区全体を清掃後、21 日にはラジコンヘリを使って完掘状況の全景撮影を行った。調査区内の 沈砂池埋戻し、25 日~ 26 日にかけて赤土流出防止のため、調査区内に種子散布を実施し、28 日で 現場を終了した。

○平成 28 年度

 遺物の注記・接合・集計作業の後、蔵骨器の実測作業を委託業務にて実施、あわせて銘書の解読作 業を実施した。また人骨の分析作業および副葬品などの実測作業を実施した上で、図版等の作成を行 い、調査報告書を作成した。

〈引用・参考文献〉

浦添市教育委員会 1998『浦添間切前田村・沢岻村域の近世墓と水田跡分布調査』

浦添市教育委員会 2007a『市内遺跡発掘調査報告書(1)-平成 13 ~ 18 年度調査報告-』 浦添市教育委員会 2007b『前田・経塚近世墓群』

浦添市教育委員会 2010『市内遺跡発掘調査報告書(2)-平成 14 ~ 20 年度調査報告-』 浦添市教育委員会 2011『前田・経塚近世墓群2 首里大名地区』

浦添市教育委員会 2012『前田・経塚近世墓群3 前田真知堂 B 丘陵(1)・前田真知堂 C 丘陵(1)』 浦添市教育委員会 2013a『市内遺跡発掘調査報告書(3)-平成 18 ~ 23 年度調査報告-』

浦添市教育委員会 2013b『前田・経塚近世墓群4 経塚子の方原 A 丘陵(1)』 浦添市教育委員会 2014『前田・経塚近世墓群5 経塚南小島原 A 丘陵』

(19)

第2章 遺跡の位置と環境

第1節 浦添市の地理的環境

 前田・経塚近世墓群が所在する浦添市は、沖縄本島中南部の西海岸に位置し、南側に県都である那 覇市、東側に西原町、北側に宜野湾市が隣接する。西側は東シナ海に面しており、遠くには慶良間諸 島を望むことができる。市域は東西 8.4km、南北 4.6km、面積は約 19.48k㎡で、人口は 113,580 人、 47,384 世帯(平成 28 年 3 月末現在)を擁する市である。市の西部には国道 58 号線、市中央部には 国道 330 号線と県道那覇宜野湾線、東部には沖縄自動車道がそれぞれ南北に走り、島の南北を結ぶ主 要交通路が縦貫する。海浜部は、約 274 ヘクタールの地域を米軍牧港補給基地が占めている(第1図)。  市の地形は、標高約 40m 前後でほぼ二分され、東部は起伏の小さな丘と浅い谷が連なる波浪状 の丘陵地、西部は東シナ海に続く東高西低の地形である。北部には、北西-南東方向に標高 120 ~ 140m の浦添断層崖が形成されている。本市の最高点は、字仲間から字前田に所在する国指定史跡浦 添城跡内の 138.4m である。それらの丘陵を分水嶺に北流する牧港川、シリン川、西流する小湾川、 安謝川の四河川はいずれも東シナ海へ注いでいる。海岸線はほぼ全面で沖合にかけ豊かなサンゴ礁が 発達している。

 本市に分布する地層は、下位から上位に島尻層群、琉球層群、海浜堆積地及び沖積層に大別するこ とができる。島尻層群は、本市の基盤を形成し市の中央部から南東部に広く露出するが、市西部や北 部においては琉球層群が広く分布する。沖積層や海浜堆積物は四つの河川の河口付近や海岸沿いにみ ることができる。植生については、本市全域が去る大戦の激戦地であったために、ほとんど焼け野原 の状態になり、現在残っている植被は二次林となっている。気象は隣接する那覇市において年平均気 温 23.6 度、降水量 1425.0 ミリメートルで、冬は北東、夏は南東の季節風が卓越する。気候的には亜 熱帯で、降水量は多く特に梅雨期や台風期に多い。風は東アジア季節風帯に属している。

第2節 遺跡の地理的環境

 前田・経塚近世墓群は、浦添市の南東に位置する字前田と那覇市に隣接する字経塚一帯の丘陵地に 分布する墓群の総称である。この地域は小湾川と安謝川の上流域で、その分水嶺にまたがる地域であ り、一帯の地形はそれに由来する幾筋もの狭く浅い谷底低地と尾根から構成される。そのため、土地 の起伏に富む丘陵地となっており、幾つもの舌状の小丘陵が入り組む複雑な地形が形成されている。 これらの表層の地質は、豊見城層(小禄砂岩層)で構成されている。この砂岩は固結度が低い細粒の 砂岩層であり、方言名で「ニービ」と呼ばれている。この地域の谷筋は、尾根の森を水源涵養林とし て古くから水田や畑として開発されてきたが、その斜面にはニービを掘り抜いた多くの掘込墓(方言 名:フィンチャー)が形成されている。

(20)

真和志堂原、真知堂、西小島原、南小島原と沢岻水系に属する子ノ方原、上平良大名原、下平良大名 原の 13 小字からなる(第2図)。かつては、安波茶川水系の全ての小字と沢岻川水系の最上流域の子 ノ方原が字前田に属し、沢岻川水系の上・下平良大名原

が字沢岻に属していたが、大正五年の字経塚の新設にあ たり、字沢岻・字前田・字安波茶の子字をそれぞれ割い て設立した時より、現在の帰属になっている。

 この地域一帯は、平成3年に浦添市が実施する浦添南 第一土地区画整理事業が都市計画決定され、その翌年か ら着手された。同事業が進行する過程で、上記の墓群が 次々に発見され、現在までにその数が 1,000 基を超えて いる。墓は、西前田原、東前田原、真和志堂原、前原、 真知堂、南小島原、下平良大名原、子ノ方原に主に分布 し、特に真知堂に集中している。平成 21 年度調査では、 前田・経塚近世墓群が市域をまたいで南側の那覇市大名 区域まで広がることが明確になった(浦添市教育委員会 2011)。

 今回報告を行う前田西前田原B丘陵およびC丘陵は、 浦添市字前田の北西部に位置する(第 3 図)。

1km 前田・経塚近世墓群

分布地域

浦添市 沖縄本島

0 宜野湾市

西原町

国道58号

国道330

沖縄 自動車道路

県道241号線

那覇市

米軍牧港 補給基地

N

(21)

 前田西前田原 B 丘陵については砂岩(ニービ)の地山である。本調査地は標高約 80 ~ 92m で比 高差約 12m 程であり、丘陵斜面や裾部に横穴を掘り込んだ墓が上下段にわたり 63 基確認された。調 査面積は 5,330㎡である。

 前田西前田原 C 丘陵は西前田原丘陵の中では最も高い場所に位置している。今回調査を行った南側 丘陵の一部は砂岩(ニービ)の地山、北側小丘陵は泥岩(クチャ)の地山である。本調査地は北側丘 陵が約 88 ~ 96m で比高差が約 8m、南側丘陵が約 94 ~ 103m で比高差が約 9m 程であり、丘陵斜 面や裾部に横穴を掘り込んだ墓が 27 基確認された。調査面積は 1,405㎡である。

第3節 遺跡周辺の歴史的環境

 浦添市が所在する沖縄本島中南部の遺跡分布の特徴として、貝塚時代後期には海浜部に遺跡群が形 成され、比較的内陸部の遺跡は少ないことが挙げられる。グスク時代には、畑作や稲作が行われるよ うになり、遺跡も内陸部の石灰岩台地周辺に展開した。前田・経塚地区のように石灰岩台地がなく谷 底低地が発達した地域は、グスク時代遺跡の分布が希薄な地域であると言われている。

 古琉球期の状況については不明な点が多い。「浦添城の前の碑文」によると、1597(万暦 25)年 に尚寧王が「宿道」と呼ばれる街道の整備を行い、首里から浦添に至る道を石畳にした。この時、木 橋だった安波茶橋が石橋に替わり、経塚を通る「宿道」が石畳に改められたとされる。また、1609(万 暦 37)年に島津軍が琉球に侵攻した際には、首里への侵攻路として利用された。

 近世には地方統治制度として「間切・村制度」が採用され、1649(順治3)年に作成された『琉球 国絵図郷村帳』には、南第一地区一帯に「前田村」・「沢岻村」・「あはき村」(安波茶村)の3ヶ村の 名が見える。経塚は行政単位の「村」として成立していないため同図には登場しない。「経塚」の地 名は 1524(嘉靖3)年に日秀上人が、現在「経毛」と呼ばれる場所に経塚を建立したことに由来する。 同集落は首里士族の屋取集落として成立、発展した。その成立年代は明らかではないが、1800 年代 前半には屋取集落が成立していたとされる。その後、1879(明治 12)年のいわゆる「廃藩置県」によっ て職を失った士族が多く移り住んだことによって、現在の字経塚の基ができた。1916(大正5)年には、 沢岻から「洗江良原」「経塚原」「上平良大名原」「下平良大名原」、安波茶から「北経塚原」「南経塚原」、 前田から「南小島原」「西小島原」「子の方原」が分割されて字経塚が成立した。

 前田・経塚近世墓群では 1700 年頃の銘書がある蔵骨器もみられることから、この頃には墓地とし ての利用が始まったと考えられる。これまで確認されている同墓群の墓の所有者については、概ね北 側の前田一帯の墓は前田の人のものが多く、南側の経塚一帯の墓は、首里の人のものが多いというこ とが確認できる。経塚は首里の近郊に位置するため、首里の士族層を中心に多くの墓が建立された。 そして、近世以降も現在に至るまで墓の造営は続けられ、墓域としての利用が続いている。

(22)

〈引用・参考文献〉

浦添市教育委員会 1980『うらそえの文化財』 

浦添市史編集委員会 1981『浦添市史 第二巻 資料編1』浦添市

浦添市史編集委員会 1984『浦添市史 第五巻 資料編4 戦争体験記録』浦添市 浦添市史編集委員会 1987『浦添市史 第六巻 資料編5』浦添市

浦添市史編集委員会 1987『浦添市史 第七巻 資料編6』浦添市 浦添市史編集委員会 1989『浦添市史 第一巻 通史編』浦添市

浦添市教育委員会 1998『浦添間切前田村・沢岻村域の近世墓と水田跡分布調査』 経塚自治会 2006『字経塚史』

浦添市教育委員会 2011『前田・経塚近世墓群2 首里大名地区』

(23)

−1

0−

経塚上平良大名原

経塚下平良大名原

経塚子の方原 経塚南小島原

前田真知堂

前田真和志堂

前田東前田原 前田前原

前田西上原 前田前田原

前田西前田原

経塚西小島原

前田黒島原

比嘉門中の墓(3号墓)

N

0 500m

玉城朝薫の墓(邊土名家の墓)

県道241号線

県道153号線 グリーンハイツ

沖縄国際センター

前田小学校

比嘉門中の墓(2号墓)

区画整理事業範囲

小字境界 報告箇所

遺構確認範囲

前田西前田原B丘陵

前田西前田原C丘陵

(24)

第3章 前田西前田原B丘陵の調査成果

第1節 調査の方法

 本地区(第 3 図)の調査前は、丘陵全体が草木で生い茂り、地表に腐葉土・崩落土が堆積してい る状況であった。丘陵の頂部と南側の裾部に数基のコンクリートの墓が点在しており、それらの墓の 間隙に、地山を直接掘り込んだ横穴式の掘込墓の墓口や、埋没墓であると思われるような地形の窪み も確認された。このことから、同丘陵には古墓が群をなして造られていることが想定された。このよ うな状況から、まずは丘陵全体の伐採や除根作業を行い、その後バックホウで表土の機械掘削を行っ た。機械掘削を行う過程で沖縄戦時のものと思われる砲弾片や戦後のガラス瓶などが確認されたこと から、調査区の多くの範囲では近現代に攪乱を受けていることが想定された。

 調査区は、当初丘陵の東側半分の 2,900㎡のうち、未補償墓が残る 381㎡を除外した 2,519㎡を予 定していたが、調査期間中に区画整理課より追加の調査依頼を受け、丘陵の西側半分の 2,500㎡につ いても発掘調査を実施することになった。そのため、この丘陵については一連の調査で全ての遺構を 調査した。表土の除去については、作業効率上バックホウを用いた機械掘削で行った。掘削の過程で、 墓正面や庭囲いが露出し出すと、順次人力掘削に切り替えて遺構細部の検出作業を行った。前田・経 塚近世墓群の遺構は、そのほとんどが地山である細粒砂岩(ニービ)の丘陵に掘りこまれていること から、掘削作業で地山まで掘り下げることで、墓の造墓時および使用時の遺構面を検出することがで きる。41 号墓については、墓室内の精査前に天井部に崩落の恐れがあると判断されたため、やむな く天井部を機械で除去し、露天にした状態で墓室内の調査を行った。

 人力掘削の結果、前田西前田原B丘陵では上・下に段を形成しつつ、各段で墓が横並びする状況の 合計 63 基の墓を確認した。遺構番号については、確認した順に付している。これらの遺構を検出し た後、順次遺構内の掘削と記録の作成作業を進めた。その結果、遺構や遺物の残存状態から比較的情 報量の多い 12 基の墓と、戦後の移転や撹乱などの影響から遺構や遺物の残存状態が悪い「空き墓」 51 基の墓の計 63 基の遺構群であることが判明した。前者の遺物を伴い、かつ遺物と遺構との関係 性が明確な墓については、1/20 の実測図の作成を行った。後者については、略測図の作成を行った。 写真撮影は適宜、調査開始から完掘まで行った。

 本地区は埋没墓が少なく、発掘調査時には移転補償により遺物が移された墓がほとんどであったこ とから、墓の使用時の状況に近い状態で確認された遺構は 55 号墓と 56 号墓のみである。なお、丘 陵の南側斜面については、一部で未補償の墓が残っていたため、平成 27 年及び平成 28 年に移転後 の補足調査で 311㎡分の墓 3 基について対応した(61 ~ 63 号墓)。

第2節 層序と遺構

(25)

た細粒砂岩のブロックと表土層(戦後の土層)が混在して厚く堆積している状態であり、これらにつ いてはバックホウで除去作業を行った。また、墓の入り口のみが埋没した墓については、墓の内部に はほとんど埋土がない状態が確認された。このような状況であることから、本調査区では明確な層序 関係を把握することはかなわなかった。

 検出された遺構は 63 基で、そのほとんどは横穴状の掘込墓であった(第 4 図)。南側斜面に関しては、 遺構の天井が崩落した墓が比較的多く、全体的に遺構の残存状態が良くない。一方、北側斜面に関し ては遺構の天井が残っている残存状態が比較的良好な遺構もみられた。丘陵の西側斜面一帯について は、表土を剥いだ後に人力で遺構の検出作業を行ったが、遺構の密度は低くまばらであった。これは、 この周辺が丘陵の北側や南側斜面の一部にみられるような標高差がある斜面地ではなく、緩斜面であ ることから、墓を造る際に適地として選択されなかったためではないかと推測される。

 確認された横穴式の掘込墓は、規模の大小や、棚の有無は様々ではあるが、砂岩(ニービ)の斜面 に横穴を掘り込んで造られたもので、羨道が造られることや、一次葬人骨が安置されるシルヒラシが あり、それを囲むように蔵骨器が安置される棚が造られるなどの構造は、これまでに行われた前田・ 経塚近世墓群の調査でみられる遺構と概ね同様である。そのなかには、11 号墓や 12 号墓、61 号墓、 62 号墓などのように、墓の前面をコンクリートで改修しているが、墓室内はその他の掘込墓と変わ らない遺構も確認された。それぞれの遺構の特徴については、第 2 表にその概要を記した。なお、墓 室の類型については、浦添市教育委員会 2007『市内遺跡発掘調査報告書(1)』掲載の表を改訂して 用いている(第1表)。

 一部の遺構からは、一次葬人骨が安置された状態で天井が崩落したと思われる遺構が確認された(41 号墓、56 号墓など)。これらについては、第 4 節 各墓の調査成果のなかで出土状態などについて詳述 する。その他に、4 号墓と 5 号墓とした遺構は、墓が戦時中に連結されて壕として利用されたもので あると考えられる。その一方、44 号遺構と 45 号遺構のように墓としての痕跡がほとんど残っていな いことから、もともと墓であったものを掘り広げて連結させたものなのか、最初から壕としてこのよ うな形態に造られたものか判然としない遺構も確認された。

第3節 遺物

 遺物は、総計で 536 点出土した。数量と内訳は、第 3 表のとおりである。主たるものとしては、 陶製の蔵骨器、副葬品と思われる陶磁器類が出土している。また埋土中からは、戦時中の砲弾片など の戦争遺物も多く出土した。遺物については、基本的に墓毎に取り上げ作業を行った。以下に種類ご とにその概要を述べる。前述したようにほとんどが空き墓であることから、限定的な資料による所見 であることを記しておく。

(1)蔵骨器

(26)

体的な傾向のみ概観する。

 蔵骨器は甕形のボージャー形とマンガン釉甕形、マンガン釉庇付甕形が検出されている。その他に は御殿形、現代の火葬骨用の蔵骨器などが検出された。一部は壺などの日常品を転用した蔵骨器も検 出されている。なかでもマンガン釉甕形が多く、復元できた個体は蓋 27 点、身 20 点を数える。次いで、 ボージャー形が多く、復元できた個体は蓋、身ともに 9 点で、マンガン釉甕形の数量と比較すると約 三分の一ほどである。御殿形はすべて陶製のもので、復元できた個体は蓋 2 点、身 1 点で、その他破 片資料が数点出土している。

 蔵骨器の時期としては、ボージャー形は安里分類(安里・新里 2006)の蓋Ⅴ・Ⅶ型式、身Ⅱ~Ⅶ 型式の資料が出土している。また、マンガン釉甕形は安里編年(安里 1997)のⅣ~Ⅵ期の資料が出 土している。この他には、戦後の火葬用の蔵骨器も確認されていることなどから、本調査地区の資料 の年代観は概ね 18 世紀中頃から 20 世紀(現代)の時間幅で捉えられる。

 一つ特筆されるのが、37 号墓では金属製の缶二点が蔵骨器と並べて安置されているのが確認され たことである。金属製の缶の内部からわずかではあるものの人骨が確認されたため、これらは蔵骨器 に転用されたものと考えられる。缶の表面にアルファベット文字の表記が確認できることから、アメ リカで作られたものである可能性が高い。これらは戦後のものであると考えられるが、このような形 で金属製の缶が蔵骨器に転用された事例が確認されたのは、同遺跡では初めてである。これらについ ては第 3 表において「転用蔵骨器」としてカウントしている。出土状況などの詳細は第4節(4)を 参照頂きたい。

 次節では、比較的状態が良い墓を取り上げた上で個別に報告を行うが、その中で蔵骨器については 状態の良いものを中心に、その特徴について報告を行う。また、これらの蔵骨器には、墨書の銘書が 記されたものもいくつか確認された。これらの銘書には、被葬者に関わる情報や洗骨や死亡に関わる 年号などの記載があった。それらの内容は、次節に記すためここでは割愛する。

(2)蔵骨器以外の陶磁器

 蔵骨器以外では、陶磁器の小物類が多く出土している。器種としては、水甕、瓶、碗、皿、小杯、 アンダガーミと呼ばれる油壺、酒注、人形などがある。これらについては、遺物の出土状況などから 判断して、遺構が墓として利用されていた際に副葬品などとしてとして持ち込まれたものと、墓が戦 時中に避難壕として転用された際に、避難の際の生活のための道具として持ち込まれたものがあると 想定された。

 墓が機能している際に持ち込まれたと思われるものには、瓶や小杯、人形などがある。全体として は破片資料が多く、復元できたものは少なかった。そのうち、図化を行った瓶(第 24 図 29)や小杯(第 24 図 30、第 37 図 56)、人形(第 37 図 57)については、遺構から出土した一次葬人骨に伴って出 土したものであり、当時の葬送儀礼を考える際の一次資料となりうるものである。出土した陶磁器類 は、沖縄産の陶器と日本本土産の磁器がみられ、これらは技法や彩色などから概ね近世から近代にか けて流通したものと考えられる。

(27)

−1 4− 0 20m G.N. X=26930.0 Y=22800.0 Y=22800.0 X=26830.0 X=26930.0 Y=22920.0 X=26830.0 Y=22920.0 063 062 061 80.0m 80.0m 92.0m 91.0m 90.0m 89.0m 88.0m 87.0m 86.0m 85.0m 84.0m 83.0m 82.0m 83.0m 83.0m 82.0m 81.0m 81.0m 82.0m 83.0m 81.0m 82.0m

83.0m 84.0m 85.0m

86.0m 87.0m 88.0m 89.0m 90.0m 91.0m 92.0m 90.0m 89.0m 88.0m 87.0m 86.0m 91.0m 92.0m 85.0m 86.0m 87.0m 88.0m 89.0m 90.0m 91.0m 023 057 034 006 011 012 024 025 001 002 029 003 030 026 027 028 004 005 036 053 037 058 054 038 052 042 050 040 041 046 048 007 043 009 059 060 035 032 031 033 019 018

(28)

第1表 墓室の平面形の類型(浦添市教育委員会 2007『市内遺跡発掘調査報告書(1)』を一部改変)

墓室平面形と棚の形状 墓室及び棚の特徴や構築方法

1類 a

棚無し

楕円またはいびつな形状。

b 直線的な規格性をもって造る。

蔵骨器が数点置けるくらいの広さで、墓口から奥壁まで直線的に造る。平面形は縦長の方形となる。1 人(一次葬人骨)を安置する墓として造られる。棺箱は遺構形状と同様に縦置きとなる。

※ 奥壁の片側または両側を拡張して蔵骨器を安置する場合もある。

d 蔵骨器が数点置ける広さで平面形は楕円に近い。1c同様一次葬人骨を安置する墓として造られる。1c では棺箱を縦置きするが、1dは横置きになる。

2類 a

出窓状

正面の奥壁を凸状(=出窓状)に成形。棚幅がシルヒラシ幅より短くなる。

b 正面奥壁と左右側壁を凸状に成形。

c 正面奥壁と、左右側壁のいずれか片側を凸状に成形。

3類 a

「コ」字状

平面形が「コ」字を90度左に回転した形状。棚は平坦になる。

※ 左右棚の片側いずれかと正面棚の接地部に段差ができることもある。 ※ 棚の高さで分類できる可能性あり。

平面形は3類aと同じだが、正面棚と左右棚の接地部に段差ができる。 正面に比べて左右の棚が低くなる。

c 「L」字状

奥壁(正面)と側壁のいずれか片側のみ棚を造る。 平面形は「L」字を90度または180度、右に回転した形状。

4類 a

段状 (階段状)

墓室内が楕円またはいびつな形状で、ほぼ平行するように正面1段の棚を造る。

墓室内が直線的な規格で造られ、正面に1段の棚を造る。 ※ 棚の高さで細分類できる可能性あり。

c 墓室内が直線的な規格で造られ、正面に2段の棚を造る。

5類 a

「コ」字状 + 階 段 状

3類a+4類c

b 3類b+4類c

「L」字状 + 階 段 状

3類c+4類c

6類 a

「コ」字状 + 段 状

3類a+4類b

b 3類b+4類b

「L」字状 + 段 状

(29)

第 2-1 表 前田西前田原 B 丘陵の遺構一覧表

遺構番号 外観 形式

墓室 類型

墓室 (㎡)

墓口 方位

法量(m)

蔵骨器 の出土 状況

一次葬人骨

所見

高さ 幅 奥行 有無 頭位 方向

1号

掘込墓 (壕か?)

1b (10.5) 南西 N129

°W

1.84 2.24 3.00 - -

-遺構の平面形状は方形。棚は造られず平坦。遺構内からは磁 器類やスコップの刃先が出土。遺構の規模や形状、遺物から 壕として利用されたと考えられる。 墓を改 築したものか否か は不明。

2号 掘込墓 1d 2.76 西南西

N122

°W

1.26 1.64 1.40 - △ 不明

墓室の平面形状は概ね楕円形。墓室内からは人骨が検出され ているが残存状態が良くないため、詳細は不明である。簪な どが出土しているため、副葬品の可能性がある。一次葬人骨 か?

3号 掘込墓 3c? (3.39) 西南西

N117

°W

1.46 1.80 1.72 - -

-墓室の平面形状は方形。墓口付近が崩落し残存しない。墓室 内に棚はないが、奥壁、左壁面周辺の床面が若干盛り上がる ことから、L 字状の棚があった可能性がある。遺物の出土は なし。

4号 掘込墓 6b 5.56 南南西

N155

°W

1.86 2.40 2.30 破片 のみ

-

-墓室の平面形 状は方形。 墓口付近の天井部は崩落している。 また、墓室右壁側は 5号墓と連結している。連結部の床面直 上からは火鉢や陶磁器類の戦争遺物が出土したことから、壕 として二次利用されていた可能性がある。

5号 掘込墓 5a 5.25 南南西

N165

°W

1.86 2.66 2.44 - -

-墓 室の平面形 状は 方形。 天井が 残 存する空き-墓。 -墓 室左壁 の一部に穴があけられ、4 号墓と連結している。連結部から 火鉢や陶 磁器 類 が出土。 また、 墓室埋 土からは少 量の骨が 出土した。

6号 掘込墓 2b 3.93 北西 N47°W

1.55 2.76 1.88 ○ -

-墓室の平面形状は方形。天井が残存する墓。奥と左右に出窓 状の棚が一段造られる。奥棚及びシルヒラシからは多数の蔵 骨器片が出土。奥棚からは蔵骨器の底部片が多く出土。

7号 掘込墓 5b 6.86 北北西

N19

°W

1.92 2.46 2.82 墓庭か ら破片 のみ出 土

-

-墓室の平面形状は方形。天井が残存する空き墓。墓庭からは 蔵骨器片が出土。墓の左袖付近には直径 30㎝程の穴があり、 戦時中の砲撃によるものと思われる。

8号 掘込墓 5b 5.90 北北西

N16

°W

1.84 2.72 2.50 - -

-墓室の平面形状は方形。左・右棚が掘り広げられ二段になる が、規格 性を持つ掘り込みではないことから、墓に伴うもの ではなく戦時中に掘り広げられた可能性がある。

9号 掘込墓 1b (1.90) 東北東

N60

°E

(1.06) 1.45 1.50 - -

-遺 構の平面形 状はほぼ方形。 -遺 構の残 存 状 況が 悪く、 墓の 前面、天井及び墓庭は残存していない。遺物も出土していな いため、性格は不明の遺構である。

10号 掘込墓 1b 1.22 東南東

N115

°E

1.72 1.36 0.91 破片 のみ

-

-墓室の平面形状は概ね方形。遺構の前面は崩落している。羨 道部分は残存しており、墓室が羨道部より一段低く造られる。 遺構内から蔵骨器の破片が出土。

11号 掘込墓 5b 6.74 東北東

N57

°E

1.88 2.50 2.71 - -

-墓室の平面形状は方形。空き墓。墓室内の右壁は一部コンク リートにより修 復されている。戦後に、戦時中に空けられた 穴を補修して、墓としての利用が継続されたものと思われる。 墓正面には複数の穴があり、戦時中の砲撃によるものと思わ れる。

12号 掘込墓 6b (3.87) 東 N82

°E

1.40 2.18 2.30 破片 のみ

-

-墓正面及び 袖とコンクリートにより補修された墓。 墓内部の コンクリートブロックを除去したところ、一部削平されている が、墓室の奥左右に一段の棚があったことが判明した。

13号 掘込墓 5a 5.32 北北東 N24°E

1.80 2.15 2.49 破片 のみ

-

-墓室の平面形 状は方形。 右袖部には 戦時中の 砲 撃の跡とみ られる穴があり、大きく攪 乱を受けていると思われる。遺物 は左・右棚に集積された状態の蔵骨器片が検出された。

14号 掘込墓 1a (3.05) 東北東 N63°E

1.36 - 1.68 - -

-墓室の平面形状は方形。墓室右壁は穴があけられ、隣接する 墓へと続く。左壁もやや拡張された跡があり、墓室が全体的 に攪乱を受けている。遺物は陶磁器類やガラス片、鉄片が出 土している。戦時中に大きく攪乱されたと思われる。

15号 掘込墓 2a 3.12 北 N4°E

(1.29) 1.86 2.02 墓庭下 方から 破片出 土

-

-墓室の平面形状は不定形な方形。棚は奥壁と左壁にかけて L 字状に造られ、奥壁は出窓状に棚が掘り込まれる。L 字状の 棚はほとんど残存しておらず、幅や高さは不明。墓庭や墓室 から遺物は出土せず、墓庭下方から蔵骨器片が出土。

16号 掘込墓 3a (7.32) 北 N6°W

1.44 2.36 1.40 - -

-墓 室の 平面形 状 は 方形。 天 井 は崩 落 の 危 険 性 が 高いため、 墓室内には立ち入らず、羨道部からできる範囲のみ掘削作業 を実施。遺物は出土していないが、墓庭左袖からは獣骨が出 土。

参照

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